「プロジェクトちちぱん」始まります。
“ちちぱん”とは何か?
カネマツがある東町で幾度となく耳にしていた“ちちぱん”。
“ちちぱん”とは、かつて東町の武井神社向かいにあった菓子店「駒屋本店」でつくられていたというパンの名前。
その昔、“乳パン”若しくは“CHI-CHI-PAN”として門前のみならず、多くの長野市民に愛されていたパンらしい。
今では、みんなの記憶の中にしか存在しない幻のパンなのだ。
関東大震災の時には、食糧支援として、このちちぱんが送られたというから、その歴史はそうとう古い。

左:1989年に撮影された駒屋本店。
右:ほぼ同じアングルから撮った現在の駒屋本店があった場所。国道406号線がはしる。
おそらく、みんなの古き良き時代の“ちちぱん”に対する記憶は適度に美化されているのではと思ったりもするが、町の行事などで東町の人が集まればいつも話題にのぼる“ちちぱん”にますます興味は募るばかり。
“ちちぱん”が食べたい。
ということで、今年後半のボンクラ+ラバーソウルのプチプロジェクトが決まりました。
東町空前の大ヒット商品“ちちぱん”復刻企画、「プロジェクトちちぱん」がひっそりスタートです。
手掛りは「駒屋本店」を営んでいた松木家に残る1枚の写真と、おじいちゃんが広告の裏に書き留めたレシピ。

若い松木おばあちゃんの前に写っている四角いパンの山。。。これはもしや。。。

ちちぱん?!
いまのところ、なんとも心細い資料しかないですが、当時を知る町の人に取材を重ねながら、
11月19日の宵恵比寿の日に行われる「ボンクラ感謝祭」に復刻版ちちぱんを提供するのが目標です。
おたのしみに!
PS
もし、“ちちぱん”に関する情報をお持ちの方がいましたら、是非、なんでも教えてください。よろしくお願いします。
カネマツがある東町で幾度となく耳にしていた“ちちぱん”。
“ちちぱん”とは、かつて東町の武井神社向かいにあった菓子店「駒屋本店」でつくられていたというパンの名前。
その昔、“乳パン”若しくは“CHI-CHI-PAN”として門前のみならず、多くの長野市民に愛されていたパンらしい。
今では、みんなの記憶の中にしか存在しない幻のパンなのだ。
関東大震災の時には、食糧支援として、このちちぱんが送られたというから、その歴史はそうとう古い。

左:1989年に撮影された駒屋本店。
右:ほぼ同じアングルから撮った現在の駒屋本店があった場所。国道406号線がはしる。
おそらく、みんなの古き良き時代の“ちちぱん”に対する記憶は適度に美化されているのではと思ったりもするが、町の行事などで東町の人が集まればいつも話題にのぼる“ちちぱん”にますます興味は募るばかり。
“ちちぱん”が食べたい。
ということで、今年後半のボンクラ+ラバーソウルのプチプロジェクトが決まりました。
東町空前の大ヒット商品“ちちぱん”復刻企画、「プロジェクトちちぱん」がひっそりスタートです。
手掛りは「駒屋本店」を営んでいた松木家に残る1枚の写真と、おじいちゃんが広告の裏に書き留めたレシピ。

若い松木おばあちゃんの前に写っている四角いパンの山。。。これはもしや。。。

ちちぱん?!
いまのところ、なんとも心細い資料しかないですが、当時を知る町の人に取材を重ねながら、
11月19日の宵恵比寿の日に行われる「ボンクラ感謝祭」に復刻版ちちぱんを提供するのが目標です。
おたのしみに!
PS
もし、“ちちぱん”に関する情報をお持ちの方がいましたら、是非、なんでも教えてください。よろしくお願いします。